親知らずテロ

彼女が同窓会に行くということで、特に用事もなかったので、盛岡の彼女の実家に一緒に行くことになった。
仙台から盛岡に向かう高速バスの中で、事件が起こった。


いすにもたれて眠っていた。夢か何か見ていたのだろう。ふと現実に帰ると、右の上の歯が猛烈に痛いことに気付いた。
歯が痛くなったのは何年ぶりだろう。乳歯の頃はそれなりに虫歯もしたが、それからは更正し、永久歯の生えそろった頃はなぜか歯の健康優良児に選ばれた。その後も虫歯になることもなかったが、大学の定期健診に引っかかった。しかし、それも歯石がたまっていて、それの除去と、虫歯になりそうな歯を半ば強引に治療したものだった。痛みはなかった。


それが急に来た。なぜ、彼女の実家に行く日に。しかも、そのバスの中で。
最初、歯の詰め物が取れたと思った。そんなイメージだった。しかし、固いものも食べてないし、大学のころからしっかりとかぶせてあるのに、なぜこのタイミングで取れるのか。しかし、取れた銀の詰め物が見当たらない。飲んでしまったのか。
歯の痛みに慣れていないので、なぜ痛いのかわからない。なんだか右の下の歯も痛み出したし、舌ももつれてきた感じもする。
隣りで彼女が心配そうに見ているが、こればっかりはどうにもならない。
これは単なる虫歯ではないのではないか、と思った。ちゃんと歯も磨いているし、あまりに突然だ。脳の病気とか、神経性の病気とか。ああ、俺は最悪、半身不随とか、しゃべれなくなったりするのか。俺はまだ25だし、やりたいこと全然やってないし。ああ、やりたいことをやっておけばよかった。


バス到着まで、あと40分もあるのか。この時間が長かった。
再び寝ようと思ったのだが、痛さが波のようにやってくるのでダメだ。歯のことを考えると余計に痛く感じるので、ひざに手を当てこちょこちょやってみたが、あまり効果がない。ただ、窓の外をぼーっと見てるよりなかった。


さらに、運のないことに今日は日曜日。病院でさえやってないのに、まして歯科医院なんてやっているのだろうか。最悪、今日は何も食べられないかもしれない。しかも、盛岡のうまいものを楽しみにやってきたのに。


しかし、所変わればなんとやらで、盛岡は意外にも歯医者さんが多いのだ。彼女と実家でメールのやりとりをしてくれた結果、何軒か休日でも見てくれるというのだ。希望の光が少し見えてきた。


なんとか盛岡のバスターミナルに到着した。そこで、車でお出迎えしてもらったが、そのまま歯医者さんに送ってもらった。子供向けの歯医者で、ここなら優しくしてくれると思った。優しそうな女性の歯医者さんが見てくれた。


が、道のりは長かった。ベッドに座らされたが、延々と待ちぼうけ。レントゲンを取り、痛みとは関係のない歯石除去の後に、ようやく治療が始まったのだが、ここで衝撃的なことを先生から言われた。
親知らずが虫歯になっているので、その親知らずを抜きましょう。


ついに来てしまったか、この時が。
親からもらったこの身体。とうとう親知らずが私の身体から飛び立ってゆく。虫歯を治療するという選択肢もあるのだが、抜いたほうが良いと先生が言う。しかし。私の身体に何年も隠れ住んでいた歯を抜いてしまうのである。どうしようかゆっくり考えたかった。が、そんなヒマはない。
突然の別れに戸惑ったが、勇気を持って決断した。親知らずを抜いてください。


麻酔注射をしたが、今の歯の痛みに比べれば、屁である。しっかり根付いている歯だが、麻酔の手にかかるとこんなにも簡単に抜けてしまうのかというくらい、簡単に抜かれた。私の大事な歯だし、このままゴミ箱に捨てられるのもシャクなので、「もらえないんですか?」と聞いてみた。若い看護婦さんから爆笑(失笑)がもれたが、先生から「どうぞどうぞ」と喜んで薦められた。


元凶となっている歯さえ抜いてしまえば全く痛みはなくなるという原理はわかるが、そんなに人間の神経って単純にできているのか。さっきまで、俺を散々に苦しめたこの歯だが、自分の口の中で、こんなに虫歯にやられているとは思わなかった。信じられなかった。ひく。写真でよく見る「ダメな歯」そのものだった。あんなに歯を磨いていたのに、親知らずが突然火を噴いた。


このブログを見ている人は、もう一度自分の歯磨きを考えたほうがいい。大丈夫だと思っていても、テロはすぐそこに迫っているかも知れない。


それにしても、盛岡に行くバスで良かった。もしかしたら、歯医者がどこにあるかわからない仙台で、ひとりもがき苦しんでいたかもしれないことを考えると、ぞっとする。