YOSAKOIに踊らされている阿呆、見る阿呆

前回、童貞党の話をしたので、今後の日記の展開が楽になった。
私はそういう男なのである。
かっこいいヤツはかっこよくて構わない。だが、かっこいいヤツやモテるヤツがいわゆる「ダサい」ことをするのは許せないということだ。
我々のテリトリーは荒らすなということだ。
水曜どうでしょうもそれに近い。魂胆がミエミエなのである。

札幌では、今日からYOSAKOIソーランが始まった。
全国的な知名度はどうなのだろう。北海道の人間は、日本人全員が名前くらいは知ってるだろう、という考えであるが、案外本州人は相手にもしていないと思う。
YOSAKOIソーランは、ほんとに賛否両論ある祭りである。
というより、私の周りに賛成派が極端に少ない。

祭りとしては、むしろ好感が持てる祭りだと思う。会場周辺がうるさいとか渋滞になるとか、困る人はもちろんいるが、そんなものは差し引いても良い祭りなのである。
なぜ、YOSAKOIが嫌われるのか。
諸説ある。
童貞党としては、結局モテるヤツだけが楽しめる祭りだから嫌われると思っている。
実際、踊ったら楽しいだろうが、YOSAKOIの集団はある種のオーラがある。「青春」してるというオーラがある。踊りきったら「私達はやった」というオーラがある。

童貞党としては、そんなオーラは寒いだけなのである。鳥肌が立つのである。

YOSAKOIがダメな人すべて=童貞党とは言わないが、このことから実のところ、童貞党の数は多いという推論は成り立つ。
だいぶ前のことになるが、YOSAKOIの会場で爆発騒ぎがあり何人か負傷した。犯人はまだ見つかっていない。爆発騒ぎ自体はあってはならないことだが、背景はなんとなくうかがえる。我々の「過激派」の仕業かもしれない。だからといって、この事件でYOSAKOIを止めるというのも良くない話だが。

ここまでデカくなってしまったから、次回から中止というわけにはいかない。だが、なんとかならないものか。童貞党に限らずかなりの反対票があるのに。結局、一部の人が盛り上がっている気がする。

童貞党とは離れるが、お祭りなのに賞があるのがおかしい。結局、賞のために踊っているのか。なんだかんだ言って、大きなスポンサーのついているところがいい賞を貰っている。しょせん金なのか。金があるから、人数も集まるし、練習もできるし、いい踊りができるのである。
ここらへんも、YOSAKOIが敬遠される大きな理由である。

この時期、テレビもYOSAKOIスペシャル一色になる。見たくない人が家にいるのに、まだYOSAKOIを見せるのか。どこの局だか忘れたが、また大泉洋周辺の人たちを呼ぶのである。勘弁してほしい。我々に拒否する自由、権利はないのか。

北海道は閉鎖的な島なのである。