高校の放送局の思い出

なんとなく高校時代を思い出した。
あの頃の「戦友」たちはどこで何をしてるのだろうか。


高校の時、私は放送局に入っていた。
日常活動としては、登校時間に放送する「朝放送」、昼休みに音楽などをかける「昼放送」、放課後は発声や滑舌の練習をしていた。3年間も。
私の高校は比較的歴史があるので、文化系ではあるが、いろいろしきたりがあった。その時はそんなものなのかなと教わってきたが、今となってはクソ食らえである。何の意味があるのか。
たまり場兼スタジオに放送「席」があるのだが、そこには放送デビューしないとなぜか座れなかった。
特別ないすではない。ただのパイプイスに汚らしいクッションがついている代物だ。
独特のあいさつもある。確かにあいさつは大事だが、そのためにあいさつを覚えること自体面倒くさい。


「戦友」いわゆる同期は、ほとんどが女の子だ。人数で言うと5、6人だ。男は私ともう一人の2人しかいない。
うらやましいシチュエーションかもしれないが、案外そうでもなかった。
あまり男と女は意識しなかった。狭い部屋で活動すると案外そんなものかもしれない。


意外に知られてないかもしれないが、高校放送部業界には「放送コンテスト」がある。
中でも、NHK杯放送コンテスト、「Nコン」は力が入る。
その「Nコン」の予選大会がこの時期だった。
石狩地区予選はすでに終わったらしいが、全道大会は6月末らしい。
高校を卒業して大学に行ってからは、しばしば高校に「後進指導」に行ったが、さすがにここ数年はない。今行ったところで、俺が誰かもわからない。
だいたい教える実力もない。現役高校生の方が上手いに決まっている。
そんなわけで、「Nコン」のことはすっかり忘れていた。
しかし、なぜか今年は思い出した。


私達の学年は、成績が優秀だった。校内ニュース原稿を読む「アナウンス部門」、文学作品を読む「朗読部門」、その他ラジオドラマ部門やドキュメンタリー部門などがあるが、ほぼ全ての部門に出品し、なんらかの賞はもらった。
私も朗読部門で全道優勝を2回したことがある。当時は結構ちやほやされただろうし、顧問の先生も俺の将来を期待したかもしれないが、今となっては見る陰もない。
そんな賞は、実社会には何の関係もないのである。
だいたい、自分の朗読は何が良いのかさっぱりわからない。今でも。ただ読んだだけだ。だから、後輩が俺の意見を聞きたいと言ってくるが、教えようがないのである。
なぜ、天はこんな俺にあんなたいそうな賞を授けたのか。
ただ、俺もやればできるんだな、という自信は今でも役に立っている。
同時に、欲しいものは手に入らずに、別にどうでもいいものは手に入るということも。


後輩に教えることは何もないが、ただ、今の後輩はどんな表現をするのかとても気になっている。
純粋な表現。社会に飲み込まれている俺にはできない表現。
今年は、なんとなく行ってみたいなと思う。
俺が忘れていたものもあるかもしれない。原点に戻るということで。
ちょうど高校の後輩も何人かは予選を突破しているし。
ただ、顧問の先生も変わってしまったので、私が行ったところで誰も知っている人はいない。私を知る人もおそらくいないだろう。


戦友は、いつでも連絡がとれるような気がしているので、あえて定期的にやりとりはしていない。
今どこで何をしているのか。
思い出す名前をYahooで検索をかけたりしてみるが、全国に同じ名前の人はいるもので、本人にはなかなかたどりつかない。
もう一人の男は珍しい苗字なので数件HITしたが、なぜかトライアスロンのランナーになっていた。
そういう話を大学時代にしたのを思い出し、ふと笑ってしまった。
戦友たちはちゃんと生きているようだ。どこで何をしてるかはわからないが。


私は、後ろを振り返るのは好きではない。思い出したところで、前に進まないからだ。
OB会もあるのだが、私が現役時代からなんか雰囲気が好きになれなかった。
内にこもっている感じがする。しかも、現役がメインであるはずの、現役のためのOB会なのに、その感じが薄かった。
今はきっちり活動しているようだが。

今、なかなか前に進んでいかないので、忘れものを取りに一回戻ろうと思う。