結婚の間合い

発起人の続報。
以前、この日記で結婚式の発起人になったと書いた。
その集まりが日曜日にあった。


まだどんなことをやる人なのかわかっていない。
「発起人」という漢字と響きが重くのしかかる。
一体、何を着ていけばいいのか。そこで何の話をするのか。
大人たちに囲まれて、年下だからお茶とか入れなきゃいけないのだろうなあ。
なんかわかんないけど、メモ帳は持っていこう。
そんな感じで、会合に向かった。


私は、てっきり会議室みたいなところで話し合うものだと思っていた。だから、「会合」という言葉を使ったが、「飲み会」だった。いや「お食事会」か。
全部で発起人は7、8人いることがわかった。
もちろん、私が一番年下だが、発起人代表といわれる方は今年で30歳だった。
私は、他の発起人は人生の大ベテランだと思って恐縮していた。予想は良い方に外れた。
しかも、その代表は「堅苦しいのはやめよう」という、素晴らしい人だった。


場所は、きれいな焼き肉屋さんだった。
私の先輩とその奥さん、代表、もう一人の発起人、俺の5人だ。
今回の集まりは顔合わせということで、将来の式次第に関連することは何一つ議論されなかった。
昔の思い出話とか、要は世間話だった。純粋に楽しかった。堅苦しくなかった。
焼き肉もおいしかったし。
発起人は案外楽しいかもしれない。


私はその先輩とは職場でしか合わないため、仕事をしている姿しか見ないが、高校の頃の話を発起人と話しているのを見ると、ふつうの人間だなあ、と感じた。妙なものだ。職場の先輩というより、私の部活動の先輩みたいなイメージだった。
なんかいいな、と思った。
結婚自体もいいけど、みんなに祝福されてるっていいな。
結婚式というのは、会社に行って給料をもらうような、いやいややる仕事ではない。発起人も義務ではない。祝うために、めでたいから発起人になるのだ。
すっかり基本的なことを忘れていた。
俺は、妙に堅苦しくなっていたのだ。


奥さんもはじめてお会いした。高校生カップルみたいにいちゃついているわけではないが、ときより、夫と妻になる「間合い」がある。
そんなことを焼き肉を食べていて感じた。
結婚の間合いがあるのだ。
夫婦隣同士で座っているのだが、距離が遠いわけでもなく、べったりでもなく、これから結婚するんだなという、絶妙の間合いがある。
私も恋人がいるが、結婚したいと思っているが、その間合いではまだない。
いや、客観的に見なければわからないものなのかもしれないが。
何センチと決まったものではないが、先輩と奥さんは上手くいくと思う。
話を聞いていても、相性はぴったりだ。


発起人はいい経験だ。
なんか大人になった気がする。
自分の親以外で、結婚を意識することはない。
むしろ、親でも気づかないものだ。
私はこれから結婚するのだな。