何かがなくなり、何かがうまれる

信じられないバイトから帰って来たのは、深夜3:30。
テレビをつけると、「9人死亡1000人けが」というNHKニュースの見出し。
台風かと思った。結構な数の犠牲者だなと思っていた。
が、ニュースを聴いていると「新潟で」。
震度6弱が3回も来ていた。


複雑な思いだった。新潟に知り合いはいない。
しかし、自分がこんなにくたくたになるまで働いて帰ってきたのに、新潟には何の役にも立ってなかった。
こんな大事な時なのに、地震があったことさえ知らなかった。
俺は何をしていたのだろう。くやしい気持ち。
どうせ働くなら、新潟のために働いてあげたかった。


正確な死亡者の数はわからないが、家屋が倒れてとか土砂崩れで亡くなったのではなく、「ショック」で人が死ぬとは知らなかった。
弱い人間がいる。
生後2カ月で、避難のために車に乗っている途中で亡くなった赤ちゃんがいる。
この赤ちゃんと俺の人生を引き換えてもいいと一瞬思ったが、逆だ。
この赤ちゃんの分も俺が生きてやろう。
そして、いつか生まれてくるだろう俺の子どもも大事に守ってやらなければ。

新潟中越地震>直後2人の新生児、母子とも健康 小千谷市
 地震震源地となった新潟県小千谷市で、地震発生直後に2人の新生児が生まれていた。次々と負傷者が運び込まれる病院に、産声をあげた小さな命。母子ともに健康で、「災害をはね飛ばし、元気に育ってほしい」と周囲の願いを集めている。
 「守ってあげるよ。大丈夫だよ」。余震に震える魚沼病院の病室で、原田絵里子さん(33)がベッドの上を体で覆った。スヤスヤと眠る約2700グラムの男の子は待望の二男。24日午前1時10分ごろに誕生した。
 最初の地震の際は市内で、家族と買い物中。通行止めで帰宅できず、不安の中で腹部が張ってきた。病院に駆け込んだのは出産1時間前。「後でナースステーションの天井が落ちているのに気づいた。ぞっとしました」と振り返った。
 隣のベッドでは山田和枝さん(33)が、約3100グラムの二男を抱きしめた。誕生は23日午後9時20分ごろ。分娩(ぶんべん)台の上の照明が余震で揺れる光景を、くっきりと覚えている。「地震のショックで、最初は陣痛の痛みに気づかなかった」と和枝さんは語る。
 「こんな地震の際でなくても」と、2人は思ったともいう。しかし、「無事に生まれてくれて、本当にありがとう」と、同じ言葉が聞かれた。
 同病院には24日だけで、200人を超える外来患者が訪れた。斎藤六温院長は「暗い話題が多い中、新しい命の誕生は多くの人の励みになる」と喜んでいた。
毎日新聞

人間は強い。