「負けない国」旅行記〜第2日目〜

ホテルの朝食は何料理なのか、軽く疑問に思っていたが、バイキング形式で多くはベトナム料理だった。
かなりの種類があったので興奮して、朝から満腹だった。
フォーもある。しかも、クセがなく、うまい。
これからいろいろなお店に行って、さまざまな料理を食べるのだが、ホテルの朝食でかなりカバーできることがわかった。


今日は、クチのトンネルと戦争博物館の見学。ベトナム戦争のお勉強だ。
ホーチミンから、車で1時間半なので郊外にある。
国道らしき広い道で行くのだが、ちゃんとお店が並んでいて、いかにもド田舎というわけでもない。
しかも、道路は拡張工事中だった。
そうなのだ、ベトナムはいたるところ工事している。道路だけでなく、家屋もだ。
これからどんどん近代化していく証拠である。


添乗員、ガイドは若い男性だった。女の子もなかなか可愛い国だが、男もなかなかかっこいい。
後でわかったのだが、24歳ということで同い年なのだ。
日本語も実に達者。
ホーチミンにも日本語の学校があり(その中のひとつは「さくら学校」)、日本語を使えるベトナム人も多い。
そのガイドは、英語、タイ語カンボジア語も話せる。
なんてすごい青年なのだ。
俺は日本語しかできないのに。英語をあんなに勉強したのに、全然使えない。
やはり英語の教育方法が悪いのだ。学問としてとらえ過ぎている。コミュニケーションの手段ということを忘れている。
批判はさておき、そのガイドは、2年くらい日本に留学して日本語を学び、帰ってきて、またガイドの仕事をやりたい夢があるらしい。
しかも、このガイドの仕事も趣味みたいなもので楽しい仕事らしい。
なんて幸せで素敵な青年なのだろう。


そのガイドは実に楽しそうに、観光案内してくれる。
ふつうは他にお客さんがいるのだが、今日は我々だけ。
だから、友達感覚でいろんなことを語り合った。陽気すぎてちょっと疲れてしまったが。
ガイドなので、車内のお客さんを楽しませることも忘れない。
「これから簡単なクイズを出します。クチのトンネルに行くのですが、「クチ」ってどういう意味でしょう。簡単ですね〜」
クチの、というから地名なんだと思っていたので、「地名」と答えると「ブ−」と言われた。
そうか。違うのか。
ベトナム戦争の舞台だったので、「悲しみ」とか「血の」とか?
違うらしい。
ヒント、この辺に関係あるってかい。この辺には痩せた牛しか、あ、「牛」か。ウシ、クチ、ちょっと似てるし!
軽く笑われた。違うのね。
あ、そうかそうか。簡単なんだよな。クチ、日本語の「口」か!トンネルも「口」みたいなものだもんな!
思いっきり笑われた。え〜、全然わかんねえ。降参、降参。
答えを聞くと、「昔、この辺に生えていた植物の名前」だった。
今は、生えていない。しかも、そんな植物聞いたことない。
どこが簡単やねん、と心の中で陣内智則だった。


まったく予備知識のないまま、トンネルに向かった。地下3層、全長250キロにも渡ると言っているので、昔のベトナム人も相当掘ったなあ、とデカいものを想像していた。
ところが、トンネルはめちゃめちゃ細長いものだった。身体の小さいベトナム人が四つん這いに這って通るものだった。ただの土の空洞だった。つまりは、要塞、砦。
穴を小さくしたのは、身体の大きなアメリカ兵に侵入されないように、ということだった。
100メートルくらい体験できるところがあり、くぐってみたが、うんざりするところだった。暑い。暗い。窓もないから、つまらない。
このとんでもないトンネルを作って立てこもり、ちょっと顔を出しては、兵士を撃退し、さらには逃げる兵も追撃したという。
落とし穴なども公開していたが、ただの掘った穴ではない。落ちたら針の山なんでまだ甘い方。金属の串で足を刺してみたり、下半身を刺してみたり、全身を刺してみたり、「かぎ」を作って抜けなくしたり。
そこまでせんでもええやろってくらい徹底的なのだ。
そういうことを若いガイドは自慢げに説明してくれるのだ。
不思議な感覚だ。戦争は終わっている。でも、まだ何かベトナム人には残っているようだ。
このトンネルやその後に行った戦争博物館には、日本人だけじゃなくアメリカ人だって観光にやってくる。
おそらく、ガイドの仕方は多少違うと思う。クチのトンネルでは、日本語で解説された映画を見せられた。日本人はそこでビデオを見るのだろう。
日本人には自慢げに語っていたが、他の外国人にはどのように語っているのだろう。
戦争はよくない。今はそう言い切れる平和な時代になった。でも、トンネルにいると説明できない変な気分になった。撃退して半壊した戦車が当時のまま残されていて、そこでさまざまな国の人たちが写真を撮りあっている。


その後は、大きな教会を見に行った。
帽子を取るのを忘れ、敬けんなキリスト教徒のおばあちゃんに注意されてしまった。
ちょっとヘコんだ。ちなみに、ベトナム人の多くは仏教、2割くらいはクリスチャンらしい。
写真をとった後は、大きな中央郵便局へ。


最後は、統一会堂。ここがめちゃくちゃデカい。豪華。贅をつくしたつくえ、いす、じゅうたん、装飾品。
もし、我々が日本から来た遣「ベトナム」使だったら、ベトナムすげえわ、ナメたらいかん、と報告する。
当時の外交官もそう思ったに違いないってくらいすごいお屋敷だった。


ホテルに戻って休憩して、夜ご飯はサイゴン川でディナークルーズ
日本だってしたことない。
しかも、船の真ん前の特等席。景色もすばらしい。
料理もおいしかったが、その日のホーチミンは奇跡的に涼しい日だったので、風が寒い寒い。羽織るものを持ってくればよかった。
ちなみに、送り迎えしてくれた女性のガイドもかわいらしかった。


アオザイは素敵だ。日本で言うと浴衣みたいなものか。しかし、着用率はアオザイの方が若干上。高校の制服にもなっている。浴衣のうなじは別に興味ないが、アオザイが魅せる女性のスタイルはすばらしい。
足はスリットも入っているのだが、残念ながら生足ではない。
浴衣と違ってきっちりできているので、「エロ」として見るのは失礼千万であるが、ベトナムの男性には、必ずアオザイフェチがいるに違いない。
私も浴衣かアオザイかと言われたら、アオザイにします。