「負けない国」旅行記〜補足とまとめ〜

ベトナムから帰ってきて1週間になるが(注:この日のブログは、2005年1月26日深夜に書いてます)、未だ100パーセントの調子とは言えない。
熱や頭痛こそないが、今でも腹痛がある。


ベトナムで体調を壊した時は、頭痛やだるさもきつかったが、お腹もゆるゆるだった。
トイレに入ると、まるで蛇口をひねったかのようになる。
大きい方が。
水下痢である。
だから、自分の意に反して、肛門に意識が行こうが行くまいが、出てしまうのだ。
現に、ふつうに立っている時に、ちょっと漏れてしまった。
が、パンツについてないのでセーフ。と、自分の中で勝手に漏らしてないことにしている。
しょうがないのだ。そういう便なのだから。どんな肛門でも、液体には対応できてないはずだ。
だから、正確にいえば、私はうんこをもらしていないのだ!


日本に帰ってくる時は、機内泊。飛行機で寝る。そう寝られないと思ったが、さすがに体調が悪いので意外にぐっすり寝てしまった。
数時間しか寝てないはずだが、すっきりしている。かなり元気になった。
朝食の機内食がうまいうまい。
前夜の超高級ベトナム料理は食べられなかったが、機内食おかゆがうまいことうまいこと。
なんてタイミングが悪いのだ。
機内食はほぼ完食した。そりゃそうだ。前の日はほとんど食べ物を口にしなかったからだ。


そういえば、私は今後の日本とベトナムの文化交流のために実にいいことをしてきた。
クチのトンネルなどを案内してくれた現地の青年ガイドに日本語を教えてあげたのだ。
日本に興味を持ち、日本語に堪能な彼は、今後も我々のような日本人観光客を相手にするのだから、そんな彼に私はプレゼントをあげた。
今、日本で流行している日本語を。
すなわち「〜ですから、残念!」である。
ちゃんと、こういう時に使うんだよと使い方までレクチャーしてあげた。
彼は飲み込みがよく、早くも器用に使いこなしていた。
たぶん、彼は日本人が喜ぶのを知って、これ見よがしにこのギャグを使うだろう。
しばらくは。
一年は。
二、三年は。
彼は、日本と言えばテレサ・テンだと思い、車の中で絶唱したくらいである。
かなり長く使うはずだ。
観光客も爆笑から失笑へ変わるだろう。
俺はなんていいことをしたのだと、笑いが止まらない。


ベトナムのことを「負けない国」と表現した。
こんな小さなアジアの国なのに、大国アメリカと戦争し、さんざん苦しめた。
戦争の歴史もあるが、ベトナム人の生き方そのものが負けてない。
バイタリティあふれている。強い。
街には、相手を倒そうという強さではなく、負けないという強さ、活気に満ちている。
したたかなのだ。
一日中、街に屋台が出て、食べたりおしゃべりを楽しんでいる。朝も夜も人間が街にいる。
バイクもものすごい速さで乗り回し、その危険な道路上で、子供たちが靴投げをして遊んでいる国なのだ。


この内面の強さはアジア特有のものかもしれない。我々日本人も持ち合わせているはずだが、不況などでその強さもくじかれはじめているかもしれない。
スマトラ島沖地震が発生し、ベトナム津波も影響を受けなかった。
もし、ベトナムにも津波がやってきて大きな被害が出ても、決して屈することはないと思う。
その日は悲しみに包まれていても、次の日から屋台を出し、少ないながらも食材をなんとかして、営業するはずだ。また普通に生活を送ろうとするはずだ。
逆境も逆境と感じない、がんばれる国だ。


日本は弱い国だが、ベトナムは強い国だと思った。