忘れられないオールナイトニッポン

ビビる大木”師匠”のオールナイトニッポンが終わった。
もともと半年限定と銘打っていたが、やはりその通りになった。
最終回になんと明石家さんまさんがゲストに来るという、普通のラジオではなかなかやらない離れ業をやってのけた。
さんまさんの話は面白かった。普段テレビのバラエティ番組ではやらないような、よく聴けば深い話もしていた。テレビにはない、ラジオの魔力。
テレビにはテレビ、ラジオにはラジオのやり方がある。いつもとちょっと違うけど、やはりさんまさんは面白かった。
個人的には、永久保存版としてMDに残そうと思っている。


なんだかんだで、ほぼ全ての回を聴いたような気がする。
個人的な好みで言えば、若手の深夜ラジオでは、ダントツの有望株だった、と思う。
「半年限定とはいえ、まさかここまでやるとは」とニッポン放送は思ったのではないか(思ってほしい)。
二人でビビるとしてやっていた時も、かなり面白かった。
ホリケンさんとやった時もあったが、どうもしっくりこなくて、あまり聴かなかった。
大木師匠は、かなりセンスが良い、と思う。
冒頭から、プロ野球情報を伝えたり、相撲や女子プロの話をしたり。
それでいて、音楽も好きで、自分の好きな一曲をかけるコーナーがあったり(選曲もいいセン突いてる)、番組最初の一曲は、コテコテのヘビメタだったり。
師匠が、こんなに音楽に対して思い入れがあるとは思わなかった。


この「師匠」という言葉も、いい言葉だと思う。
師匠自体にものすごく尊敬というイメージがあるが(三枝師匠とか)、そういうのともまた違う使い方だ。
尊敬はもちろんするが、どこか愛着があるというか、親近感があるというか、あこがれというか。
ニュアンスを言葉にするのは難しいが、「師匠」という言葉自体である種の敬意を表すが、それほど堅苦しくない言葉。世間で流行してもおかしくない。
例えば、番組では酒井若菜師匠とか、浜田省吾師匠とか、武田鉄矢師匠などという使い方をしていた。
年上はもちろん、自分より上だなと思えば、気軽に使えるのである。
大木師匠は、自分の好きな国仲涼子さんにも「師匠」と呼んでいる。
実にいい肩書きである。


基本となる、フリートークもなかなか良かった。
伊集院光のような飛び抜けたところはないが、そこはお笑い芸人。普通の話も面白かった。
私はネタ系ラジオが大好きなのだが、これも良かった。もっとネタ系のコーナーを増やしても良かったと思う。


パーソナリティーは、パーソナリティーという言葉ゆえに、持っている個性が大事だ。
その人自体がどれほど魅力にあふれているか。
お笑い芸人やミュージシャンがどれほど世間で売れていても、その人が面白くなければ、残念ながらラジオは面白くない。
センスも大事だ。どういうものを自分は大事にしているか、根本にあるかだ。方向性だ。
芯が決まっているほど、魅力的だ。ラジオ番組をやるとき、看板にもなる。


不思議なのは、そのパーソナリティーの「におい」を嗅ぎ分けてリスナーが集まってくるというところだ。
その人が面白ければ、リスナーも面白い人が集まって、番組は盛り上がる。
いわゆるハガキ職人(この言葉大好き)。センスを嗅ぎ分けてやってくる。
伊集院光には、伊集院臭のするリスナーが集まり、伊集院と同じように爆笑をとってくれる。
10年選手のナインティナインは、基本に忠実でありながらも、10年やっている上に、かなりの手練れが集まっている。実際ここから放送作家になる人も多いらしく、個人的にはここが日本一の職人のたまり場だと思っている。たまに感動するくらい、芸術的なネタもある。
長くやっているといちげんさんは入りにくいかもしれないが、ナイナイは入りやすいと思う。
独特のセンスでやっているといえば、コサキンだろう。一回聴いただけでは、どこが面白いのかわからない。
が、小堺さんや関根さんは笑っている。あまりに面白いと、小堺さんはリスナーのネタに絶句し、涙をながして笑い泣きする。だけど、ネタは意味がわからない。
コサキンは「意味ねえ」がテーマみたいなもので、ほんとに意味がない。番組を理解するのに、半年くらいの時間を要するが、それが理解できる境地になれば、なかなか逃れられない。
それと20年というキャリアから、マニアックな世界観ができあがってしまっている。実にマニアックだけど、ハマれば面白いのだ。
ゲストが来たら、好きなおでんの具を聞いたり(最近の恒例行事)、作家なのに有川さんをいじってみたり。やたら水野晴郎ちゃん(ちゃんづけ)とか北大路欣也ちゃん(ちゃんづけ)とか、全裸で高速回転とかいう言葉もでてくる。今でも谷隼人とか、都倉俊一とかいう言葉が出てくるのはここだけだろう。
しゃべり手が違えばリスナーも変わるのだ(もしかしたら、名前を変えてるかもしれないが)。


ラジオ放送開始から80年。ライブドアとフジテレビの件で、良くも悪くもラジオについて考えることになっただろう。
ラジオの特性としてよく語られるのは災害の時に使えるということだが、その次元で停まっているのは、ラジオをよく聴いていない証拠だ。
ラジオの魅力はそんなことだけではない。見えないという欠点を逆に利用すれば、面白いことだってできる。
不思議に思うのは、見えないだけなのに、どうしてこんなに番組の作りが違うのか。単なるテレビからの引き算とは思えないのだ。
ラジオに視覚を足したものがテレビなのだから、テレビ全盛期時代にラジオが消滅したっておかしくない気もするのだが、どういうわけか残っている。
これからも、しばらくは忘れられずに残っていくのだろう。残していってほしい。


ナイナイのオールナイトで、岡村さんが素晴らしいことを言っていた。
このブログでも書いたが、タモリさんをはじめ、ライブドアのものになればニッポン放送を降板すると発表したパーソナリティーが出始めた。
お世話になったから、恩を感じて辞めるという言い分も理解できる。
今のところ私は、まだ何も決まってないのだから(どう変わるかわからないし、何も変わらないとも思っている)、これらの発言は時期尚早だし、せっかく変わらなくても、ライブドアが入ってくれば、この発言のために居づらくなると思っている。
この件に関する岡村さんの思いは、かっこよかった。すごく当たり前のことだけど、忘れかけていたところだ。こんなことを語っていた。

もともとニッポン放送は、リスナーを大事にしてますと言うてるじゃないですか。パーソナリティーもリスナーを大事にしてるわけですよね。そんななか、どうなっていくかもわからんのにですよ、パーソナリティーの方が「ライブドアやるんやったら辞めます」、パーソナリティーがこういうこと言うたら、あかんのちゃうんかな思うんですよ。パーソナリティ自体がリスナーを無視してしまってるわけですよ。その人がラジオをやってるからいうので、聴いてくれてる方たくさんいるわけですよ。

私の中では正論だけど、まさか岡村さんの口から聴くとは思わなかった。
このナイナイをはじめ、テレビでもいくつかのレギュラーを持っているのに、ラジオは捨てられないとラジオを大切に思っている人がいてくれて、私は嬉しい。


ライブドアニッポン放送をどうしたいのかよくわからない。はやく知りたいところだ。
まさかラジオをやらないとか言わないだろうが、オールナイトニッポンは無くしてほしくない。