問題添削

PQはいただけないなあ。ダメだなあ、あの番組は。
「検定」とはいいながら、答えは一つしか認められない。結局はクイズ番組。
発想を豊かに、とか言いながら、答えを一つと決めつけるのは良くない。
他にどんな答えがあるかを発想するのが面白いし、意味が出てくると思うのだが。
例えば、こんな問題。

A・B・Cの3冊の本があります。
この3冊をすべて読んだ人は「間違いなくCが面白い」と言います。
しかしそれを聞いて、この3冊をすすめられた全員が、
CではなくAに手を伸ばすそうです。一体なぜでしょう?
http://www.tbs.co.jp/shimadakentei/pqtest/index-j.htmlより)

3冊は上・中・下巻だからというのが答えとなっていて、おそらく、この解答がきれいだし、教科書的だと思う。自慢じゃないが、すぐにわかった。
しかし、他に解答はないだろうかと考える余裕はほしい。
解答者席に座っていたドランクドラゴンの鈴木さんは「Aの本の手触りがよかった」的なことを書いておられた。
みんなバカにしていたが、これは間違いじゃないと思う。
書店に触ってみたい感じの本があったら(しかも、触るのタダ)、触る人は結構多いと思う。
もちろん、全員とは言えないが、では、上中下巻本で上巻を100パーセントの人間が手に取るかとも言えない。
他に、うちの親父は「一番上にAの本があったから」と答え、これもイイと思う。
ちなみに、私は経験から言って「Aは学校で指定された教科書だったから、たとえ面白くなくても買わなきゃいけない」という答えにした。
たぶん、他にも答えがあるが、せめて、正当な解答以外に部分点をつける制度はほしい。
紳助さんクラスの方であれば、それだけの権限はあるはず。
それにしても、紳助さんの番組は、紳助さんのトークでもってるの多いな。この島田検定は、ほんとにそれだけで支えてるし、むしろ支えきれなさそうな印象の番組だと思う。
司会か解答者に所ジョージさんを入れてもいいと思う。


最近、このテの番組が多くて、どうなんだろうな、と思う。
マジカル頭脳パワーというか。私ははっきり言って「頭の体操ブーム(多湖輝著、ISBN:4334002390)」としているが。
思うのは、答えの華麗さよりも、ちゃんと問題文にまで気を配ってくれよ、ということだ。
この頭の体操は、磨きがかかった問題文に対して、なんとかスキを見つけて、華麗なシュートを決めるものだ。問題文がしっかりしてないと、答えも無意味に増えてしまう。答えと問題文はセットにしておいてほしい。
例えば、PQでも

小学校の3年生のユウキくんは公園にある一番高い鉄棒に飛びつくことが目標です。 しかし、これまで3回挑戦してみたものの、なかなか届きません。
ところが、ユウキくんが4度目に挑戦した時は簡単に飛びつくことができました。それはなぜでしょう?

という問題があった。
答えは、「ユウキくんが3度目に挑戦した小学3年生の時から、4度目に挑戦した時までには時間の経過があり、身長が伸びていた為簡単に飛びつくことができた。」となっている。
この「小学校の3年生の」というフレーズが、なんとも曖昧なので、答えがすっきりしない。
確かに、2文めには書いてないからこの答えが成立するのだが、ふつうは2文めもこの条件はひきずるものだと考えるだろう。
成長期と考えて、小学校3年としたのか。実際、私もこの一年に飛躍的に身長が伸びた。かといって、鉄棒に届くくらいに伸びるかというと、説得力はいまひとつだ(もちろん、届く可能性はある)。
だいたい、この模範解答も結局、全部小学校3年生の時の出来事だったのかというのもはっきりしない。
私は「小学校の3年生」というフレーズはない方が良かったと思う。「ユウキくん」と「くん」をつけるだけでも、小学生だろうなとイメージがつく。
そして、3回目と4回目の間に劇的な時間差をつける方が(例えば10年とか)、答えも華麗に決まる。
例の問題文のままだったら、ユウキくんではなく、鉄棒の高さを下げていく方が面白い。地盤沈下で沈んだとか、折れたとか。


私は、小学校の時から頭の体操ファンだった。全巻は読破してないが、それでも、こういう問題のパターンは結構この本の中にある。
たまに、もろに同じ問題もあり(パクリ)、つくづく読んでおいて良かったと思う。
単に問題を解くわけでなく、どれだけ発想を変えることができるか、を学べ、今思えば、自分の数パーセントはこの本のおかげと思うところもある。
頭の体操シリーズがすでに完成(完璧)しているので、最近のこういったテレビ番組は模倣にしか見えないし、問題の質も悪いので(解ける解けないではなく)、見るに堪えない。見ない。
雑学ブームも小康状態になり、今度は「頭の体操ブーム」が来ているようだが、答えを見ても「ふーん」で終わり、「へぇ〜」の奥にある深みが感じられない。