選挙の不思議

今日、仙台では知事選があった。
仙台に住所を移して間がなかったからか、選挙権がなかった。先月27日に引っ越してきたのだが、いったいどのくらい仙台に住んでいたら、投票できるのだろう。ちょうど引っ越してきた時に、知事候補者を募集していた。私はバイトを探している最中だったので、「なら、宮城県知事にでもなるか」と思っていたが、さすがに辞めておいた。


仙台に来たばかりなので、どういう政治事情なのか全然知らない。前の知事の名前も知らなければ、どういう政治をしてきて、どういう評価を受けているのかもよくわからない。今回、立候補したのは3人で、それぞれどこの政党で、どんな政策なのか知らなかったのだが、それでも、投票したかった。はじめての土地の選挙。用紙に、よく削ってある鉛筆で書き入れて、箱の隙間に入れる。その行為だけしたくて、それが政治に結びついているから楽しいとは、これっぽっちも思っていない。ただ、投票がしたいのである。


選挙でいつも思うことがある。選挙活動は、果たして意味があるのだろうか。
確かに、名前を覚えてもらうのは絶対必要だ。顔も覚えてもらおう。政党も大事だ。しかし、それ以外はどうなんだろう。どの選挙も、その候補者のやりたいことがピンと来ない。


車でマイクを使って名前を連呼するのはわかる。が、街頭で演説したからといって、実際、どれだけの票が伸びるのだろう。いろんなところを何ヶ所も訪れて握手なんかしているが、あれはほんとに意味があるのだろうか。支持団体とか持っている候補者もいるけど、団体の人はちゃんとその候補者に入れているのだろうか。投票するところを確認できないではないか。団体までいかなくても、選挙事務所にまで顔を出すような支持者もほんとに投票しているのだろうか。票の取りまとめってほんとにできるのだろうか?


私は会社や親戚から「この人に入れるように」と言われる環境ではない。その都度、選挙公報などを読んで、自分の考えに近い人や共感できる人に入れている。いわゆる無党派層と言われれば、かっこいいが、特にポリシーのない人間だ。しかし、あまのじゃくなところがあるので、誰かから投票するように指示されれば、その人には絶対入れないと思う。それってフェアじゃない。俺は俺の意思で選ぶ。